ロピタルの定理は大学入試で用いてよいか?

ロピタルの定理に関わらず、高校数学の学習指導要領を超える範囲の定理・公式を大学入試で用いてもよいか否かは、よくある話です。ここでは、個人的な意見を述べておきます。

結論としては、「基本的に使ってはいけない」と思っています。まず、使ってよいという人の意見としては、次の理由が挙げられます。

・大学入試は高校生だけが受験する場ではなく、大人も受験しているかもしれない。その中で使える定理・公式を制限するのはおかしい。

・数学的に間違いがないのに減点される・採点されないのはおかしい。

・数学の真理は普遍なのに、大学入試の場においてのみ認められないのはおかしい。

これらが主でしょうか。これらの理由にはとても共感出来ます。特に、最後の理由はその通りだと思います。ただ、その中でも使うべきでないと個人的に思うのはもちろん理由があります。

その理由は、「指導要領の範囲を超える定理・公式の成立を納得せず用いられる可能性がとても高い」からです。大学入試においてのみならず、数学の議論をするときには、その議論を自身で納得していることが必要です。定理・公式を用いる場合、その成立を納得している必要があります。定理・公式の成立を納得するとは、その定理・公式の証明が出来ること、または最悪出来ないにしても過去に証明を読んで理解したことだと思います。当然、受験生の中で指導要領の範囲内なのに納得していない定理・公式がある人や、範囲外でも納得している定理・公式がある人もいるのが現状でしょう。ただし、実際の大学入試で受験生が「~~定理より、」などと解答したとしても、その定理を納得しているかどうか採点者には判断できません。なので、受験生は指導要領の範囲内までの定理・公式を納得しているものとして考えるのが最も自然かと思います。もちろん、定理・公式を納得した受験生は用いることが出来て、納得していない受験生は用いることが出来ない世界が実現できれば、全く問題はないと思います。ただ、ロピタルの定理を例に挙げれば、証明は大学で習うε-δ論法を用いますし、そもそも主張さえも正確に理解できる高校生(受験生)はほとんどいないと思われます。ロピタルの定理を「不定形の極限は分母と分子を微分してから極限を計算できる!」という程度で認識し、その理由も全く分からないまま、定理の有用性に魅了されて用いていく・・・大学入試の場でロピタルの定理を使用可能としてしまうと、このような高校生が多発すると思います。それを認めるような教育をした時点で、数学としての価値は薄れ、数学に対する誤解が広がってしまいます。

このような懸念から、指導要領を超える定理・公式は用いるべきでないと思います。大切なことは、数学についての既存の事実を「知っている」だけで満足してはならない、ということです。なかなか難しいですが、この実感を高校卒業までに生徒に持たせるにはどのように数学教育をする必要があるか、日々考えていきたいと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000