数学は日常で使うか使わないか論争について

*初めに書いておきますが、この記事は「数学は日常で使う」や「数学は日常では使わない」などと言うことを主張したいわけではありません。

 先日、初めての大学入学共通テストが行われました。今のところ、私は数学IAしか解いていませんが、やはり日常の問題を数学的に定式化して考えさせる出題が目立ちますね。今回であれば、2次関数を用いて100メートル走のタイムを上げる方法を考察する出題がありました。「数学は日常で使う」ことをアピールするためのように思います。

 ところが、この日常で使うか使わないか論争、言葉の捉え方の問題な気がするんです。使うと主張する人は、例えば経済学は微積分と関係があるなど、「使う」という言葉を「日常に数学が潜んでいる」という意味で捉えて、使わないと主張する人は、日常生活の中で微積分の計算をしたことがないなど、「使わない」という言葉を「日常生活の中で数学を意識しない」という意味で捉えているだけだと思います。「使わない」と主張する人の中で「日常に数学が潜んでいる」ということすらも知らない人がいるので、「使う」と主張する人はますます必死になって「使う」アピールをしたがっているように感じます。

 ただ、正直に言うと、ここまで使うことのアピールを必死にしていることが全く納得できないのです。じゃあ、もし仮に数学が日常で使わないものだとすれば、価値が無いものだということですか?数学の分野によっては、ほぼ間違いなく日常で意識しないし、潜んでいないものもあります。そのような分野は存在価値が無いということなのでしょうか?数学は日常で使う、使わないの次元で価値を語れるものではないと思います。数学のどこに魅力を感じるかは人それぞれ(感じていない人の方が多いかもしれませんが)ですが、日常で使うことが魅力の全てでは絶対にないはずです。例えば、自然数を構成する考えであるペアノの公理は、絶対に日常で使わないけれど、1とは何か、2,3,4とは何かを「集合」と「写像」によって定義でできること、素晴らしいアイディアだと思いませんか?

 天才数学者たちが考えてきた素晴らしいアイディアに、魅力を感じてほしい。そして、少しでも多くの人に、アイディアの素晴らしさから数学を好きになってほしい。これが、私の真の願いです。

p.s. ちなみに、共通テストの数学IA、残念ながら90点でした。2次関数の問題で4.7+4.1をなぜか9.8と計算してしまい、その大問は芋ずる式に間違ってしまいました。こんなミスさえしなければ満点だったのに、こういうところなんですよホント。IIBこそ気を取り直して満点取りたいけど、どうなるかな・・・

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